岡崎写真館とは
明治38年愛知県岡崎市生まれの
初代 伊與田孫市氏が
昭和4年に愛知県岡崎市で修業をした後、五反田で岡崎写真館を開業したのがはじまりである。
開業時のスタジオは屋上から外光を採り入れるスラント式で当時としては珍しく、
最新式であったが空襲で焼失。
その後、結婚式場「品川文化会館」の初代会長となり、打掛の着物を素早く整えてスピーディーに撮影する”早撮り”として地元で屈指の写真館として活躍した。
昭和21年に会長の二代目正志氏が受け継ぎ、10年前に三代目の彰氏がそのバトンを受け継いだ。
彰氏は写真業界で20年の実績を積み家業に入った。
今では希少な大判フィルムの撮影にこだわりを持ち創業以来30,000組もの家族写真を撮り続けている。
ただ親父(初代孫市氏)の背中をついてまわった日々
正志会長:
最初はただ親父にくっついてまわって
四六時中写真の事ばかりやってたかな〜。
当時は、「出張写真」が多く大きな荷物を担いで
ほぼ毎日親父と現場を共にしておりました。
20歳から現場に入ったけど本当に毎日忙しかったね。
次の日までに現像しなければならないから、夜中に現像をする毎日で、
1枚1枚レタッチをしていて、細かい作業が多かったな。
ただ顔のシワなどを取ったりして焼き付けをするんだけど、
出来上がった時のお客様が 「キレイだ〜」と本当に嬉しそうな顔で喜ぶんだよね。
それを見るだけで夜中の作業の疲れなんて吹っ飛びましたよ。
それは親父もそうだね。
どんなに疲れていても「お客様の笑顔が嬉しいから」と
亡くなる直前までシャッターを切り続けていたからね。
だからこそ、私も親父と同じ様に最後まで全うしたいと思っているかな。
地元の人々の笑顔をフィルムに収めるのが、ただただ幸せ
正志会長:
私が写真を始めた時には近隣にも
20~30件は写真館があったんだけれど
今は2件だけになってしまった。
一番の理由はやっぱり「継ぐ人がいない」。
残念だよね。
だからこそ、本当に息子には 感謝もしているし
少しでも長生きして みんなの(地域の人々)日常を残していきたいと思っているかな。
本当に喜んでくれるから幸せな仕事だよ。
私が写真を始めた時には
お祭りに出かけたり、
地域のみんなはほとんど知り合いだったから
日常をただ収める様に写真を撮っていたかな。
今は、昔を知る商店街の人もどんどん少なくなってきて
昔のようには正直いかないけれど、やることは変わらないね。
五反田で生まれ育ち、この町が大好きだから
そこに住む人々の瞬間瞬間をとって笑顔になってもらう。
それを息子・孫の世代にも自然に続いていってほしいと思っているかな。
祖父、父が作り上げてきた愛される町の写真館を
しっかり守って継承、発展していきたい
三代目彰氏:
子供の頃は写場兼自宅がスタジオだったので、
毎日現像液のにおいを嗅ぎながら暗室で良く遊んだものでした。
あの匂いが自然と私を この道に進ませてくれたのかなと今は思いますかね。
ただ正直、自分が継承する事は考えていませんでした。
大学卒業後、写真業界の会社に入社をしました。十数年前からかな。
実家に帰る度に親父がどんどんと歳を重ねていってるのをみてそこから、
「今後」のことを考えるようになりましたね。
五反田生まれ五反田育ちの一人の人間として
町の歴史、そこに住む人々の記録を残していきたいなと。
決して灯を消してはいけないと本気で思い、
十年前に岡崎写真館に戻ってきたんです。
戻ってきてからは 親父が祖父の背中についてまわっていたように
私も5、6年ひっついていましたね。
親父からは「お客様にありがとうと言われることを大事にしなさい」
と今でもよく言われていますね。
お客様が笑顔で嬉しそうな 顔で写真を見ている顔を横で見るのが特に嬉しい瞬間ですね。
これからも親父と二人そして倅と
共にまずは100年続く店となるように
変わらずコツコツと日々頑張っていきたいなと思っています。