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エーアンドエー株式会社

​エーアンドエー株式会社

田澤会長が語る「エーアンドエー株式会社」

弊社は、東京都あきる野市に本社を構える製造業者で、主に大手製造会社から委託を受け精密加工部品を製造、納品しています。業界でも早いうちに5軸パレット付マシニング加工機を導入し、3DCADを用いて単品から大量生産まで幅広い需要に応えられるようにしています。

品質重視をモットーに金属・樹脂の精密加工を手掛けていますが、マグネシウムの加工などは危険を伴う非常に難しいものでどこでも出来るものでは無く、他社と大きく差別化を図るポイントになっています。

うちは、業界他社と比べ、利益率が幾分か高い会社でして、よく、円安の進行やロシア・ウクライナ問題による資源高騰なんかで苦しいんじゃない?って言われますが、お陰様で心配なく安定的な経営をさせてもらっています

私はモノづくりの職人でも何でもない、むしろイベンターだった

田澤会長:

私がこの会社を興したきっかけ・・・

というかこの業界に飛び込んだきっかけは全てたまたまなんです。

運が良かった、私はいろんなところで私は運が良かっただけ!

と話しています。

学生時代の私は一言で言えばイベンターでした。

富士急ハイランドなんかにバスを貸し切りにしてスケートを滑りにいくなんて企画を「まとめていくから!」と富士急と交渉して安くしてもらって、さらに周囲の企業に協賛を集めて回って相場よりだいぶ安くして人を募集してツアーを組む、なんてことをしていました。

男を集めるために女の子の方を安くしてなんて事もしてましたね。

そんな事をしていたら就職の時期になりまして、最初に合格をもらったところに身体検査で結核が見つかって落ちてしまってね、先生に「それじゃあ他に一番給料の良いところ見繕ってもらえませんか?」と言って案内してもらったのが今の会社を興すきっかけとなる電子顕微鏡を製造販売していた会社なんです。

全部分解して覚えろ!!

田澤会長:

私は正直、全然機械の勉強なんてしていませんでしたので、同期の皆さんと比べてCADがどーたらなんて言われてもちんぷんかんぷん。

最初はどーしたもんだろうか?と思っていたんですが、先輩に恵まれまして、先輩が「電子顕微鏡を全部分解して覚えろ!!」って言ってくれたんですね。

必死で覚えました!!

そうしたら誰よりも詳しくなって、会社が販売したものをアフターフォローというか、調節する仕事を任してもらえるようになったんですよ。

会社が「なんでもやってみろ!」という方針だったのもラッキーでした。元々、イベンターですので、その時の容量が功を奏して大学の教授達に気に入られましてね、いろんな大学の担当をさせてもらえるようになりました。さらに、電子顕微鏡ってもの凄く繊細で少しの振動で狂ってしまうのですが、それを解決する方法なんかも、お陰様でたまたま私が見つけたりしてね、そんなこんなで会社の中で自分の立ち位置がはっきりしたのですが、そのうち、働きすぎで身体壊しましてね、これからどうしようかな?と考えていたら、流れで周りの仲間達と一緒に会社起こすことになっていったんですよ。しかも、元の会社の仕事を受ける形で。願ったり叶ったりでしたよ!

―波瀾万丈の会社経営-

田澤会長:

会社経営も順風満帆というわけじゃありませんでした

何度かピンチも迎えてね、

最初7人いた仲間たちがみんないなくなりました。

仕事もあちらからホイホイ来るわけじゃないですからね、

時世で次はこれが来るんじゃないか?なんて、

予想しながら目を光らせていましたよ。

携帯電話の精密部品受注という大きな転機を受けて事業が拡大しました。

それもこれも運ですね。技術革新の為の設備導入も積極的に行いました、今の5軸に繋がる、3軸のマシニングを導入したのも業界では先駆けでした。

他社が危ないからと手を出したがらないマグネシウム加工に挑戦し始めたのもその頃からでしたね。今では他社に追随を許さない当社の強みになっています。

―後継時に気を付けた事、○○のいう事を鵜吞みにしたら会社は潰れる!

田澤会長:

そんなに無いのですが、早いうちに自分が元気なうちに渡してしまおうと。

息子に全て任してしまって後は悠々自適になんて考えていました。

心配はありました。私はゴルフはやるのですが、息子はやらない、私はゴルフで仕事取ってきたりというパターンが多かったもんですからね。

ただ、息子は息子でいろんなところに顔出しながら頑張ってますからね、結果心配してない・・・と言ったら嘘になりますが、本当に頼りにしてますよ。

 

一つ気を付けたのは銀行のいう事は鵜呑みにしないことにしていました。

彼らはよく、「平均的な製造業の利益率は」なんて事を言ってきますが、平均的な企業が良いか悪いかもよくわからないのにそんな指標を基準にしてもこっちが潰れちゃいますからね、私は自分の会社がしっかりやれるのか?しっかり引き継げるのかは頼りになる人のアドバイスを聞くのと、自分で興味持って調べるのとでやり切りました。もちろん銀行のいう事を全て聞かないわけではないですよ、鵜呑みにしないだけです。

事業承継時に特に気を付けたのは株価ですね、株を引き継ぐのに引継ぎのタイミングを見計らう必要がありました。後継の息子だけではなく子供や孫達、そして社員に迷惑をかけることのないような段取りを考えて事業承継に踏み切りましたね。

―運が良かっただけ?-

田澤会長:

何度も言いますが、私は運が良かっただけです。

これからの日本の製造業は今迄とは比較にならないくらい厳しくなっていくことでしょう。

だからこそ、これからの事業をしっかり考えて、タイミングよく後継者に引き継ぐということをしていかなければならないと考えます。土台は築いたつもりですが、私が今までやってきたように後継者である息子にも経験が必要です。自分がこのタイミングで息子に渡せるのも運が良かっただけですね。

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