


坂田新聞店

今回のインタビューを通じて
坂田社長のバイタリティーと経営者としての本質を終始感じ取ることが出来ました。坂田社長の目線は「常に先を見通す」「先手先手を打つ」「人を大切にすること」を軸に考えられている。そんな印象を私どもは受けました。
坂田社長の事業に対する視点をぜひ皆様もご一読ください。
坂田新聞店とは
有限会社坂田新聞店は栃木県宇都宮市に位置する信頼の新聞販売店で、1960年の創業以来、宇都宮市内を中心に1,000軒以上の家庭や事業所に新聞を配達しています。
坂田新聞店では、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞、日経新聞の6種類を取り扱っています。
これらに加えて、雑誌、書籍、切手、印刷物なども販売しております。
新聞配達は朝7時から始まり、新聞の訂正や休止の申し込みも随時受け付けています。さらに、お客様の要望に応じて新聞の配達方法を調整し地域に愛される企業です。
坂田新聞店の特徴は広範な配達エリア、早朝の配達開始、新聞の訂正や休止の手続きの容易さ、およびカスタマイズ可能な配達方法です。
お客様の新聞生活を全力でサポートしています。
新聞の販売店を始めることになったきっかけ
新潟で新聞の販売店をやっていた叔父(祖父)は新潟県の毎日新聞の草分けでした。
ですが、昭和の当時は新聞が普及しておらず、新聞を広く知ってもらうために、地元の名士の方に協力を仰ぐ形で祖父が新潟で事業として始めました。
その後、事業拡張する際に祖父が新潟で販売店を開始することになり、そのときに父(父方の祖父が若くして亡くなり、その後を継いでいた娘婿の父)に白羽の矢が立ちました。
創業した父が、私が12歳のときに亡くなったため、事業としてたたむという選択肢もありましたが、母が息子(私)に引き継がせたいという思いから、10年間2代目として母が事業を継続し、
私が3代目として引き継ぎました。

3代目として、引き継いだ際にどのような苦労が?
私は母が2代目として継いでいた会社に
大学を卒業直後に役員として加わったため、当時の従業員からはあまりよく思われなかったですね。
当時の従業員には戦争から帰ってきた人たちもいて、なかなか言うことを聞いてくれない人が多かった原因です。
新聞の仕事は朝も早く、従業員は直ぐに「辞めたい」とか「休みたい」とか「給料上げてくれ」しか言わなかった。
辞めたいという人を引き止めると結果的には他の社員への影響も大きくなるため、半年で4人辞めてもらいました。結果として人が足りなくなったため、自分で新聞を配達することになり、それから配達チラシや集金の作業も自分でやり始めました。色々とやり始めると見えてくることがあり、そのときは配達チラシの作業場が汚くて、まずは黙って掃除して綺麗に整えることから始めたら、その姿を見ていた従業員が徐々に自分に付いてくるようになってきました。
